18歳の高校時代まで過ごした故郷、三重県四日市市を離れて上京。
気がついてみると、それから長い時間が経ちました。数えてみたら25年。
・・・・・長い!
初めて東京にやってきたとき、驚いたことが4つありました。
1.うどんの汁が黒い
2.私鉄よりJRのほうがメジャー
3.銀行が多い
4.人の歩くスピードが速い
「1.うどんの汁が黒い」関西のうどんは基本的にダシ汁で薄色。なので東京の醤油系ドドメ色にはビビリました。
「2.私鉄よりJRのほうがメジャー」私の故郷では電車といえば近鉄。ついでに百貨店やホテルも近鉄系。JR四日市駅など誰も使わないさびれた存在でした。東京では山手線はじめJR路線が充実しているのにビックリ。
「3.銀行が多い」高校まで日本で一番デカい銀行は東海銀行だと思っていたので、それ以上の都銀がたくさんあるのに驚きました。(これは自分がアホやっただけですね)。
「4.人の歩くスピードが速い」一番の驚きがこれ。とにかく東京の人はみんな歩くスピードが速い。セカセカと速いこと速いこと。田舎モノでゆっくり歩いていた私は、よく後ろからぶつかられました。
東京へきてから25年。四半世紀。
その25年をずっと東京で過ごしているわけですが、東京人の歩くスピードはますます速くなってきている気がします。セカセカセカセカ。あきまへんなあ。
歩くスピードだけではありません。仕事の仕方や生き方自体も、スピードが速いこと速いこと。
地球に生命が誕生してから40億年。 そこから進化に進化を重ねて登場したホモサピエンス。
その進化の過程でかなり無茶な改造に次ぐ改造を重ねてしまった結果、人間は構造的に相当いびつなカタチになってしまったようです。もっともヤバいのは動物として「左右対称」構造が崩れてきたこと。もうこれは動物としては限界に近いそうで。
よく美人顔の条件として「左右対称」が挙げられますが、あれには理由があるんですね。
内臓の構造もつぎはぎだらけで左右が異なる「不正改造車」のような構造。
加えて二本足歩行構造のくせに、大きくなりすぎた脳のせいで肩こりが激しくなる。
脳が発達した故の計算高さで、他人のことを蹴落としても儲けようとする・・・。
このままいくと、生命体としての人間の終焉は遠くないことでしょう。
人口が少なく、歩くスピードもゆっくり。自然もたくさん。
そんな故郷に帰るとホッとした気分になります。それは郷愁の念だけではなく、人間としての遺伝子がそう感じさせているのかもしれません。
とうとう足立区の人口と鳥取県の人口が一緒になったそうです。面積は65倍(足立区<鳥取県)もちがうのにねえ
人口減少の地方都市ではよく経済的な危機が伝えられます。もちろん経済的な豊かさは大切ではあります。それにしても、地方都市の皆さんに「ニッポンの良さ」だけは残してほしいなあ、と思う次第。
しかしそれも、もしかして叶わぬ願いなのかもしれません。
生き物は成長ののち衰退・退化し、次なる生命にとって変わられるのが進化という運命なのか。ならばせめて頭デッカチゆえに衰退・退化していく不幸な運命を、儲けに走ることなく「楽しく・愉快に」過ごすしかないのもしれません。
そんなふうに考えていること自体、仕事の原稿が進まないことに対する「計算高くズルい脳」の言い訳なのかも。