話の「揺らぎ」とは、話し手が聞き手に対して、自分を一方的に押しつけない態度です。
それは話し手の臨機応変さであり、また相手によって自分を変えられる柔軟さです。
話をする人間が「自分の話すスキルを高める」「自分の話すネタを増やす」のは当然なのですが、それはあくまで自己中心的な努力。
それに力が入りすぎると「独りよがり」な内容になってしまいます。
多くの日本人ビジネスマン、そして彼らが見本とする「欧米の優れた話し手」には「自己中心的な話し手」、
自らの上手な話を一方的に相手に対して伝えるスタイルが多いです。
落語家さんはそうではありません。
まず彼らはパワーポイントやプロジェクターを使いません。
座布団に座ったままで動き回ることもありません。バンドのように大人数でもないし、楽器も使いません。
たった一人で座布団の上。
そんな最も不利な状況だからこそ「お客さんと呼吸を合わせる」能力が発達するのでしょう。
私が見たところ、彼らほど観客と息を合わすのがうまいプレゼンテーターは世界中どこにも見当たりません。
私が初めて落語を知ったのはいまから6年ほど前。落語会にはとにかく衝撃を受けました。ありとあらゆる点で私の知らない別世界。 落語会が終わった後に展開されるお客さん同士の会話にたまげました。
「今日の○○さん、調子がよかったねえ」
「あの演目、3年前にも聴いたけど、ずいぶん進化したなあ」
「今日は調子がよかった」ってどういうこと? そう思いました。 「今日は」ってことは何度も来ているということです。 同じ落語家さんの、同じ演目を聴いて「今日はよかった」と感想を述べるお客さんたち。これはビジネスの世界ではあり得ない光景です。
でも自分がお客さんになって聞いてみるとその理由がよく分かりました。うまい落語家さんの話はマンネリに固まっていないので、いつ聴いても「新鮮」なのです。 この新鮮さを生み出す姿勢こそ「揺らぎ」です。
さりげなくその日のニュースを入れる。鉄板のギャクに頼りすぎない。
客席で携帯が鳴るなどのトラブルをネタにする。
こうした臨機応変な「揺らぎ」は、お客さんに安心と心地よさを与えます。
どうやらこの「揺らぎ」がリピーター=常連客を生み出しているのです。
話し手の「揺らぎ」はアドリブとは違います。アドリブというのは「瞬間の反応=反射神経」ですが、
「揺らぎ」をつくるものは話し手の心構えそのもの。
自分を押しつけず、相手の反応を見て何を話すか決める柔軟性。自分とお客さんの間に無言のコミュニケーションをとる技術。
「行く先の水に合わねば意味は無し」−これは某落語家師匠の言葉ですが、実に示唆に富んだ名言です。
同じような客を相手に、同じ形式で話を積み重ねても「揺らぎ」は身につきません。
落語家でもビジネスの講師でも、「いろんなお客さん相手に、いろんな形で話してきた」人ほど、「揺らぎ」が大きくて話が面白いです。
あと、いつ何時も「無難に」話してきた人は「揺らぎ」が身に付きません。
頑張って失敗して、張り切って落ち込んで、そうした挑戦の数を重ねなてはじめて得られるのが「揺らぎ」のようです。
大変失礼ながら、落語家さんにも「揺らぎ」の少ない人がいます。
前回紹介した「ウソくさい社長」のように「この人、あちこちで同じことを同じようしゃべっているのだろうな」と
マンネリを感じることがあります。これは正直、プロの噺家でも面白くない。
結局、話し方についてあまり技術的に上手くなりすぎてはいけないのでしょう。
それより「さあて、今日は何を話しましょうか」とふんわり始められる力量、お客さんとコミュニケーションを取れる能力こそ大切なのですね。
さて「揺らぎ」をめぐる理屈はここまで。
あとは「揺らぎ」を学ぶのにもっとも適した落語家さんをご紹介しておきましょう。
会場を揺らし揺らされる「揺らぎ」の心地よさにかけて天下一品の落語家。それが柳家喬太郎さんです。
私は何度か共演させてもらっていますが、私のようなビジネス界の人間とでも息を合わせてゆらゆらと会場の爆笑を誘うその実力。
ぜひいちどライブで体験してみてください(チケット取りにくいけど)。